浜松祭りのメイン! 浜松祭りは特に長男の誕生を祝うお祭りです♪
子供の成長を願って名前を入れた『初凧』を揚げる伝統的な地元の祭り!
この街に育ったら長男のお祝いはしてやりたい。と思うのです。
5月3日に同じ巳年、同じ5月生まれの長男の初。
最高の誕生日の幕開けです…。
朝イチ7時に会所前に集合が般若連の決まり。早朝から準備です。
CHISATOは髪の毛を6時過ぎ予約。チビ店長も正装。
前日の夜も遅くなりましたが、この日はパキっと起きちゃいますね!
この写真を撮影してからの凧場まで結構時間があります…笑
10時に出てく位だから。
それまで実家に寄って挨拶と軽く打ち合わせ。
そこからブティックエルムの方に行って現場確認とちょっと準備。
家に帰って甥っ子達とワサワサしてる間にアッと言う間に時間!笑
寝る間も飯食う暇も無く、病み上がりテンションをグッと上げて!!
朝からギュッと帯を締める感じ。
これからの凧場の店長の表情から読み取れると思いますがww
偶然祭り数日前にブティックエルムでばったり会ったおばちゃん。
幼少期に田町梅月にいて、よくカステラの端もらってました♪
チビを抱いてたらお祭りやるなら言いなよ!駐車場貸すよ!って。
聞いたらお家が凧場の目の前! コレまたラッキー過ぎる♡
凧場にもたくさんの仲間と関東&関西の親戚一同も集まってくれて。
初凧は堂々と真っ直ぐにキレイにあげてくれました♡ 感謝です!
そして病み上がりでフラフラの非力な店長に皆が協力してくれて。
本当に一生忘れない感動を味わいました!
カッコ悪いですが。涙が本当に溢れて止まりませんでしたw
入院中に。一度は祭りもできないかも…って所から。
まさかここまでこれて、全てが無事にできたコトと!
集まってくれたたくさんの周りの人達への感謝と!
凧がこんなに良い物だったなんて…。
夜は凧の打ち上げって意味が初めて分かりました。
数日間の入院中、点滴生活で体重も5kg落ちでフラフラ。
ご飯もロクに食べてない状態で体力も筋肉も限界だったけど。
気持ち次第で人間は限界超えられますね! 死ぬわけじゃ無いしw
県外の方々へ…、 浜松祭り。凧揚げ祭りとは。
江戸時代に定着したといわれている浜松まつりは、明治に入ってさらに活気を帯びてきます。今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのも明治20年頃で、長男が生まれたらその子の成長を願って凧を揚げる初凧の風習は、遠州地方に広がっていきました。浜松藩には24か町の職人の町があり、伝馬・塩・鍛冶・元魚・田・連尺・大工・紺屋・肴・旅籠・板屋等の町が、後の凧揚げの中心を担う町になったのです。大正8年に歩兵第67連隊の和地山練兵場(現:和地山公園)を、凧合戦の会場にと申し入れ、浜松出身の兵隊は商家の出が多く、全国的にも体格が劣っているので、男性的で活発な凧揚げが身体鍛える手段の一つを理由に練兵場の使用を許可したと言われています。第二次世界大戦が始まる直前まで、毎年和地山の練兵場を舞台に、勇壮な凧揚げ合戦が繰り広げられました。そして第二次世界大戦終戦。焼野原となった浜松が復興への足どりを刻み始めたばかりの昭和23年凧揚げ会場を一時的に中田島に移し、浜松市連合凧揚会主催で第1回の凧揚げ合戦が、城下町24か町を中心に、50か町余の参加を得て盛大に開催されたのです。そして昭和25年には名称も「浜松まつり」と変え戦前は、40から50町の参加で開催されていたのが、近年では170を超える町が参加し、そして夜の御殿屋台の引き回しに80を超える町が参加しています。また、中断していた高校生の参加も平成5年度から復活。文字通り子供からお年寄りまで、また男女を問わず参加できる市民あげてのおまつりとして、今でも成長し続けています。
では!写真集にてイッキに。
一生に一回ってコトで。
4,000枚の写真に目を通すのは大変でしたがw
たくさんの人達が気持ちを入れて撮ってくれた写真なので。
かなり多めにUPします。写真が語ってくれてるのでコメント無し。
時系列で写真だけ並べます。コマ送り動画と思って流して見て下さい。
見返しても。自分は今でも泣きそうになりますww 感謝感謝感謝!!!
なんと佐鳴台般若連の方々からも!
ブログを楽しみにしてるという声を頂いたので♪
浜松祭りを初めて知る県外の友人からも!
東京、大阪のメーカーさんからも!
参加できなかったけど、見たい方々からも!
もちろん参加して頂いた方々からも!
色んな所で、色んな方々に楽しみにして頂けるのってウレシイです♫
<2014.05.03 浜松祭り佐鳴台般若連 勇杜初凧 @中田島凧揚げ会場>
あついあつい一日の物語は。
こうして…、あの日の夜に続く…。
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